『殺戮の天使』について、ネタバレ前提の考察を書いていく。ラストシーンの解釈など核心的な話を先にしようかとも思ったが、まずは作品の舞台から話した方が楽そうなのでそうする。
1話、レイチェル・ガードナーはとある建物のB7、地下7階に自分がいることに気付く。ここから話が始まる。
この時点の彼女の認識では、カウンセリングを受けに病院に来たのに、気付いたらここにいた、となる。
なぜカウンセリングを受けることになったのかというと、「人が死ぬところ、殺されるところを見たから」。嘘は言ってない……。
B7はタイプライター(が接続されたPC)の問診だけでB6に上がる(記憶消去を確認しているのだろう)。エレベーターが開くと同時に
ここから先は、『プレイエリア』です
と放送がある。
カタカナで「プレイ」は'play'か'pray'か分からないけれど、'pray'は動詞であって名詞や形容詞にはならないので、'play area'であろう。誰が何をplayするかは早々にザックが現れて明らかになる。
Aパートではレイチェルはザックの魔の手から逃れてB5に脱出できる。ところが、BパートでザックがB5まで彼女を追いかけて来てダニーを殺す。この建物のルールとしてはあり得ない行為。このザックの重大なルール違反が元になって、「ザックに殺してほしいレイチェル」と、「レイチェルに建物の外に出ることを手伝ってほしいザック」の奇妙な利害の一致が生まれ、以後二人で上を目指すことになる。
1話の段階でこの作品が、現実世界のリアリティと違うということはすぐ分かる。ダニー先生が明らかに人間ではない。
さらに見ていくと分かってくるのは、おそらくこの建物は地獄の一種だということ。
本来は、何か現世でひどい悪事を働いた人間が死後ここに送り込まれる。フロアごとに殺人鬼が待ち構えていて、いずれかのフロアで捕まって殺される。そうやって現世の罪の代償を払うことになる。
ザック、ダニー先生、エディ、キャシー、神父の全員が人間ではない。現世では殺人鬼だったものが、地獄の仕置き人として再雇用されている。地獄の管理人は人間ではなく、人を超えた何物かであるので、地獄はその人を超えた者に仕える者となる。作品的には管理者は神なので、各フロアの殺人鬼は天使となる。『殺戮の天使』、"Angels of Death"とは彼らのことで間違いなかろう。
初見の人には、白ベースの衣装、金髪碧眼の美少女という容姿から、「レイチェルちゃんマジ天使」、略して"RMT”となるかもしれないが、注意して見ればAngelsと複数形なのでこの解釈は正しくないと分かる。立華かなでさんはマジ天使ですけどね。
とはいえ、話が進むと、レイチェル・ガードナーはB1に棲む殺人鬼であることが判明する。
レイチェルちゃんもマジ天使だった。
ただ、1話時点ではその記憶は消されているので、地獄に送り込まれた亡者の一人として話が始まる。
なぜ地獄の仕置き人が1亡者に格下げされてしまったのかは、たまたま聖書を読んで、自分がしたことが許せなくなったからだ、というのがストーリーの流れ(ネタバレ)。流れ的に正当防衛が成立しそうだけど、当人が「自分は許されない、生きていてはいけない」と思ってしまったのだから仕方がない。
ダニー先生に両親は今頃地獄にいると聞いて覚悟を決めたものの、例の重大なルール違反でB5に上がってきたザックがダニー先生を殺してしまう。これにより追われる身になったザックに「お願い、私を殺して」と願うところで1話はEND。
両親はB1で仲睦まじく()しているのでダニー先生もあながち嘘は言ってない。
物語の中では、登場人物は明確に強い願いを持って行動している。「劇的欲求」と言う。各キャラが「何となく」で行動する作品は素人のもの。「ザックに自分を殺してほしい」がレイチェルの劇的欲求。ザックは「この建物から出たい」。実は序盤の二人の劇的欲求は自分のことしか考えていない。
物語では登場人物は成長する。この作品では、話が進むと自己中心的な欲求が変化する。何があってどのように変化するか。それを描くのが作者の腕の見せ所。
作品を全部見た人はもうご存知のことではあるが。未見の人はぜひ見て来てください(さんざんネタバレしておいて平然と言う)。