上里菅原神社に参拝してから、上里町で食事をして、午後は利根川に沿ってのんびり帰ることにした。
なんと入館無料。展示物は撮影禁止。
ここのすぐ西が渋沢栄一の生家で、付近では渋沢栄一にゆかりのある場所が複数見学できるようになっている。
明治の富国強兵を支えた経済人というイメージだが、同時に経済道徳同一説を唱え、現代のコンプライアンスの概念を先取りした経営者でもあった。企業の存在意義は社会貢献で企業活動を維持するために利益を確保する、という原則とも一致する。
地元野菜を売っていたので、深谷ネギを購入。ぶっといネギ4本が格安で買えた。
さらに東へ。妻沼展示館へ。
廃線になった妻沼線の車両が展示されている。
40年前の1983年まであったが、ついに直接見る前に廃線に。
電化されることがなくディーゼルカーが走っていたというのをここで知った。
戦時中に熊谷から中島飛行機の工場まで線路を引っ張るという計画で整備されたが、終戦で利根川橋梁に橋脚を建てるまでに留まり、妻沼-熊谷間の盲腸線として残っていた。東武としても日光線、伊勢崎線に続いて3本目の利根川橋梁を作って維持するのはしんどいという判断であろうが、妻沼と熊谷では乗客も限られずっと赤字が続いていたという。
今になって宇都宮がLRTを整備したりしているので、鉄道を廃止しなくてもよかったという世界線もあったのではという気はする。利根川を渡って小泉線に繋げて、熊谷からも線路を南下させて東松山に繋げれば東上線と別れている東武が一体になり、館林から池袋まで直通も可能になる。北関東から都心への2つのルートができ、地域の公共交通の利便性は著しく高まったであろう。
というようなことを車両を見ながら考えた。Google Earthを見ると熊谷駅から妻沼線の跡を容易に追うことができる。新たにレールを引いてLRTを作るのはそんなに難しくないようには見えるが、妻沼駅は妻沼聖天山にあまり近くないので、もう少し利根川近くまで引っ張る必要はありそう。