1月14日に西新井大師と亀戸天神に参拝して、その後行こうとして断念したコース、水天宮から清洲橋を渡って清洲公園へのルートを2月10日に歩いてきた。
地下鉄半蔵門線で水天宮前へ。仕事で何度か来たことがあったが、「水天宮って何だ?」と常々疑問に感じていた。
以前使っていた東京シティエアターミナルの方ではなく、水天宮の方の出口から外に出ると、すぐ左が水天宮。完全にビルの谷間にあるので、「ここに神社がある」と事前に知っていないと見逃してしまいそう。
東京の水天宮は久留米の水天宮の分社で、藩主有馬頼徳が江戸の屋敷に開設したもの。地元住民の要請で毎月5日に一般開放するようになったとwikipedia情報。
昭和40年代に二階建てとなり、2016年に今の社殿が新築となった。
神社はRC造の建物の2階にあり、建物ごと免震構造になっている。免震構造はいわば地面から建物をフローティングマウントしているので、大地震のときは動く。この変位を吸収する遊間が植え込みになっている。
建物を2階に上がると神社が。
天気がよいせいか参拝者は多く、けっこう並んだ。
弁天様も人が並んでいる。
水神様を祀る神社なので手水舎は龍。
灯籠も龍。金網に賽銭をねじ込む人が絶えないようだ。
建て替えられたばかりの神社なので、都会の風景の中で金色に輝いている。
水神様を祀る神社なので河童の像。
子宝いぬ。安産にもご利益があるとのことで、子供を連れてお礼参りに来ている人もかなりいた。
ふと「『水天宮』は『雨宮天』と字面が似ているなあ」と思ったがアクアは水の神であるので特に問題はない。
水天宮の次は箱崎ジャンクションを撮影。
箱崎ジャンクションから少し歩いて清洲橋が見えてきた。こちらからアクセスすると想像以上に大規模な橋。
船で何度かくぐったことはあるが、渡るのは初めての清洲橋。
永大橋、両国橋などとともに、震災後の復興事業で架けられた橋。アイバー自定碇吊橋という独特の構造型式。ドイツのヒンデンブルク橋を参考にしたとされる。
ネットではなかなか写真が得られず、自分で行って初めて分かるセンターステイ部分。
小名木川に架かる萬年橋。
上流側の新大橋。
清洲橋を渡って左岸側から。
清澄公園から清澄庭園へ。
ちょうど昼時だったが食事ができるわけではないので、東京シティエアターミナルで弁当を買ってここで食べればよかったな、などと思う。
池にはカエルの卵が。もう春が近づいている。
野鳥はキンクロハジロとホシハジロが多数。他にヒドリガモ、カルガモもいた。
清澄庭園は岩崎弥太郎が買い取った土地で、大名屋敷時代の庭園を整備したもの。関東大震災の後土地の東半分を公園として都に寄贈。西側は昭和になって都が買収し、都市計画に基づいて庭園を再整備して有料で公開するようになったもの。
震災で建物が消失したり、戦後盛土して資材置き場になったりしたというが、現在は他の大名屋敷の庭園と同等の見事な庭園になっている。池にある「涼亭」は震災や戦災を免れて今に残る建物という。
庭園を出て清澄白河駅の方に歩くとレトロな建物があった。清洲寮という昭和8年にできた民間の集合住宅だという。今でも入居可能でかなりの人気物件だというのが検索して分かった。
この辺りは深川という土地だというのが行ってみて分かった。深川江戸資料館というのもあるがそれはまた後程。