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サピエンス全史

断片的に情報は聞いていたが、そろそろ通して読むべきと思い購読。

電子書籍として安い本ではなかったが、今見たら3960円になっていて驚いた。先月は何かのキャンペーンで4割引きだったようだ。思わず得した。

よく言われる、ホモ・サピエンスネアンデルタール人と違い神を信じることができたから生存競争に勝った、という話を、原典にちゃんと当たっておこうというのがこの本を読んだ動機。これを読むと、神・宗教だけではなく、貨幣や法律といった、想像の上にしか存在しないものを他者と共有できたことが「認知革命」であり、サピエンスが人類の覇者になった鍵だという。

人類の3大革命のあと2つは農業革命と科学革命。科学が生まれるまで人は「無知」を認めなかったというのが興味深い。それまで未知の領域は神話で全て説明していた。科学はそれを「未知である」と認めることから始める。同時進行で大航海時代が進んだ。これも、大西洋の西は神話の通りに決まりきった滝があるのではなく、「未知」だから船が向かった。中華帝国も南米の帝国も、はるか彼方に未知の土地があるとは思いもせず、冒険の航海には出かけなかった(南米はインカ帝国アステカ帝国が互いに存在を知らなかった)。

で、やはり人間にとっての一大イベントが認知革命。この時初めて人間は神に出会った。

よく「日本人は無宗教」だとか言われるが、これは大間違い。また、「西洋は一神教だが日本は多神教」も違う。まず、人の心は宗教抜きでは存在できない。人の行動は損得で動く経済的行動、好悪など気分に基づいた情緒的行動、善悪の判断に基づいた管理的行動の3つの面がある。このうち「善悪の判断」はその人の宗教によってなされる。言い換えれば、善悪というエゴをはさまない主観的な指標の根拠は「宗教」と言うしかない。

この本では宗教を以下のように定義している。

したがって宗教は、超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度と定義できる。

この定義によれば、宗教がない人というのはまず存在しない。「超人間的な秩序」を神として自覚しているか、していないかの違いで、自分は宗教を信じている/信じていないが別れる。その程度の話だ。

たとえば、悪いことをすると天罰が当たる、ということは割と多くの人が信じていると思う。いや信じていない、という人でも、残忍な独裁者を市民が蜂起して捕縛し、処刑したというようなニュースをきけば、「独裁者が可哀想」より「当然の報い」と思うだろう。「当然の報い」とは、何者かが手を下すべきことを、蜂起した民衆が人として手を下したからそう思うのではないか。そして、その天罰を下す何者かが何か、といえば超人間的な存在で、一般的な「神」の概念と一致する。

この本での一神教の解説は、日本人一般が考える一神教とはだいぶ異なっている。宗教が洗練されてくると一神教にたどり着く。宇宙を支配する超人間的な存在が旧約聖書にある一神教の神。ユダヤ教ではその名をむやみに口にしてはならないという唯一の神。キリスト教では父と子と精霊の三位一体である唯一の神。イスラム教では神を意味するアッラー

一神教の神はこのようにスケールが大きいので、いちいち人々の願いは聞いてやれない。信者だからとえこひいきはせず、異教徒も好き勝手させている。これはおおむね現実に対する観察結果と整合しているので、このように神を認識している一神教の信徒は、願いがかなわない、ぐらいのことでは神を信じることをやめない。

ここで仏教について考えると、仏教では「神」について論じていない。人も、仏も、あらゆるものは宇宙を支配する「法」のもとに存在している。

言い方を変えると、仏教の「法」の概念と、本来の一神教の「神」の概念は同じとなる。このため、一神教は特別なものではなく、4大宗教のどれにも共通する概念となる。

そして、せっかく現実と整合する、人の細々した願いをひいきしない神は、結局人間には受け入れ難く、信徒をえこひいきする神が改めて創造される。

仏教ならば、大日如来阿弥陀如来薬師如来といった様々な仏や菩薩がそれに該当する。キリスト教では聖人や天使などが(クリスマスの夜に良い子にプレゼントをくれるサンタクロースがその代表)、神とは名乗らないが、人に寄り添った神として見出される。その結果、本来一神教だったどの宗教も、実質は多神教として人々に信奉されている。八百万の神々は日本の専売特許ではなかった!

というようなことが、本書には堂々と書いてあって、いろいろ認識を改めさせられた。

この、完全な一神教を信じるのが難しいがゆえに現れたのが、神と悪魔の対立という。神が全能ならそもそも悪魔の存在を許さない。悪魔が存在するならば神は全能ではないということになる。この矛盾を解決する完全な理論は存在しない。ただ、人は神だけを信じるより、神と悪魔による善悪の対立の方が信じやすい。多分それだけのこと。

宗教についてつい長々と語ってしまったが、こういう考察に続いて、著者が宗教とイデオロギーを区別しないというのがまた面白かった。中でも共産主義に対する毒舌は随所に出ていて笑う。

一方で、イデオロギーが宗教であるのだから、現代の人間が信奉している、自由も、人権も、民主主義も、宗教と同じように人間の想像の中にしか存在しない。このことは再三強調される。しかし、想像の中にしか存在しないものを他の者と共有できることが人間の特性であり、それによって血縁地縁を超えた共同作業が行えるからこそ、地球を「支配」する存在になり得たということもまた強調される。

神の概念を生み出した人間の「認知革命」は、同様に貨幣や法律も生み出した。神を信じないと言い張る人間も、貨幣の価値を信じないということは考え難い。しかし、貨幣の価値も人の想像でしかなく、人間以外にとっては貨幣は金属片か紙切れでしかない。まして、銀行口座に入っているデータとしての貨幣(存在する現金よりはるかに多い!)など、人間以外誰がその価値を知るというのか。それでも、銀行口座の預金残高が増えることを心の拠り所に、我々は日々の仕事にいそしむ。これが人間という奇妙な生き物。

ただ、貨幣の起源が物々交換の効率化のためという俗説だけで、もう少し突っ込んでもよかったのではと思う。なぜお金は「払う」のか。こういう言葉がなぜ使われるのかは物々交換の延長では理解できない。これについては例Wikipediaの貨幣史のページの方がはるかに多くを語っている。

ja.wikipedia.org

上下巻2冊のボリュームが多い本だが、それでも総論を述べるために各論は駆け足なところがある。細かいところはそれぞれが興味のある領域について調べていけばいい。